どの社会でも、守りは評価されないものであるけれど。

メイウェザー対パッキャオの試合に対する一般の反応をみてもそうだし、

サッカー選手の年俸なんかでもそう。

◆【年収】お父さん、ある日あなたのサッカーをやっている息子さんが、FWとMFどっちがいいかな?と聞いてきたらなんと答える?
http://simulize.com/2014/11/12040/

守りって、同じ業界の中でも、その専門家以外はまず評価できない。

システムエンジニア(含むネットワークエンジニア)のお仕事で言えば、

・無茶な要件の案件を、なんのトラブルも起こさず構築を完遂する
・炎上している案件に放り込まれ、上手く立ちまわって収束させる

こういった仕事は正に「守り」だけれども、まず評価されない。

前者の案件なら、それこそ自分でマッチポンプした方が評価されたりするし、
後者の案件なら、取ってサラッと抜けて、収束したころに”アレ俺詐欺”が一番評価されたりする。

守りって、評価されない。

じゃあ、守らなければ良いのか?というと、損失削減=即利益。

例えば訴訟されて1億円払う=1億円の利益を失うのと同じことなので、やっぱり守りもやっていかなければいけない。
でも評価されない。

なんで成り立ってるのか?となるけれど、
結局、関わっているエンジニアが誇りを持っているからこそかなと思う。

不平不満を口にしながらも、「使えない・繋がらない」を無くしたいエンジニアのプライド。
そういう泥臭いことをやり続けているエンジニアの強さは半端ない。

他人が評価するかではなく、自己の能力を高め続ける人。なんだか修行僧みたいな。
個人的には、そういうエンジニア像が好きだけれど。

せめて、エンジニアの評価の仕組みを変える手段を作りたいなぁ…と常々。
まだ答えが無いけれど。

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