「守り」を評価できない組織は必ず衰退する

九州電力の年収一律カットとかね。
エンジニアの立ち位置で観ると、この時期に常々思うことの一つ。

多くの会社において「攻め」を担う営業は、
良くも悪くも、高低ハッキリと評価されるケースが多い。(と思う)

成果を上げた営業が高く評価され、
成果を上げない営業が低く評価される。

いわゆる成果主義だけれど、これには納得感がある。
もちろん、行き過ぎは弊害を生むだろうけれど。

モノを売り切ったらそれで済む仕事は、
この手法で、多くの人の納得感があるのかもしれない。

さて…インフラを担当している企業のエンジニアはどうか。

多くのエンジニアが従事する構築、運用…立ち位置としては「守り」だろう。
営業が得点を決めてきて、試合終了まで失点なく守りきる。
場合によっては既に多くの失点から始まり、
それ以上に失点を増やさないように戦う”しんがり”的な時もある。

リクナビなどでよく見るエンジニアの分類の中では、
・「セールスエンジニア」は「攻め」的。攻撃的MF。
・「構築・運用エンジニア」は「守り」的。守備的MF〜GK。
といった感じか。

個人的に、全ての立ち位置を経験した中で一番辛いのは、
「構築エンジニア」として”しんがり”を務める時の、撤退戦。

…なのだけれども、これを評価している組織をみたことが無い。
自分も撤退戦の経験は貴重だったけれど、全く評価されずに数年を費やした。

ネットワーク以外、電気というインフラで言えば「脱原発」もその象徴か。
原発停止は試合終了ではなくて、何十年も撤退戦を戦い抜く必要があるのに、
そこに従事する人を、社会は全く評価していない。支えようとしていない。

従事するエンジニアはたいした給与もなく、おそらくは多くの人をささえるため、
「立つ鳥跡を濁さず」の精神で、必死に対応しているのに、ね。

評価するのは自分で、その中から何かを見出すのも自分。
ただ、それで耐えらるのは所詮、数年。
耐えきれなくなったエンジニアは、去っていくか、壊れていくか。

そういう組織作りをしている限り、着実に「守り」を支えるエンジニアを失う。
それが大きな失敗と気付いたころには、きっと手遅れ。

日本自体がそうなってしまうことは避けねばならないし、
そのためには、「守り」を担当するエンジニアを評価する仕組みが、
少しでも、多くの企業に根付いて欲しいもんです。

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