責任をとる覚悟のない人に、ボランティアを集める資格はない。

どうしても理解できなかったので、何度も読み直してみたんですよね、この記事。

◆「五輪にはボランティアで働けるエンジニアが必要」発言の真意を聞く
http://japan.zdnet.com/article/35071996/

で、ようやく分かりました。理解できない理由が。

「国防」という重大な事柄にも関わらず、「責任」をとる人が不在だから、と。

ICTエンジニアがボランティアすること自体は、実際に多々あるんですよね。

記事中のInterop Tokyoはまだまだ簡単なところで、
UNIXを支えるのは、もっと高度な技術を要するボランティア達だし、
最近では東日本大震災の時、即時のPerson Finder立ち上げなども、そうです。
フリーウェアの作成だって、言ってみればボランティアです。

ただ、それは「責任」をとる必要がない世界なのですよね。
もちろん、それぞれ技術者プライドもって、不具合があれば最大限、直すでしょう。
ICTエンジニアは、世の中の役に立ちたがっている人が結構多いですから。

けれど、「国防」となれば、話が別です。
自分の失策が、国にとっての脅威となりうる。
ちょっと失敗しちゃったで許される世界とは、要するレベルが段違いです。
(Interop等に関わるエンジニアを卑下する意図はありません、悪しからず)

プロのエンジニアというのは、お金をもらう仕事が出来ることです。
お金をもらう仕事とは、責任をとることです。
プロのエンジニアは、対価をもらう分、責任をとるのです。

その「責任」に関して一切の言及をせず、きれいごとを言っている、と。
そりゃ、理解できないわけです。

これをICTエンジニアに理解されるようにするための解決策は、実に簡単。

「エンジニアを育てたい。ボランティアで関わってほしい。
 ただし、どんなことがあろうとも、全責任は私がとる。」

これを熱く語られた日には、それだけで、集まるエンジニアはいるでしょうね。
少なくとも、それならば私も少なからず協力すると思います。

自分が仕事を任せたエンジニアが何か失敗をしたとして、
自分で何とか収束させ、責任をとる覚悟なくして、エンジニアは育ちませんよね?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする